せ っ し ゃ  な ぎ じ ん じ ゃ
摂社 南木神社
 大楠公(楠木正成公)を祀る。延元元年(1336)正成公が湊川で戦死されると後醍醐天皇その悼惜限りなく、翌2年(1337)御親ら公の尊像を刻ませ給い、公と縁故深き当社境内に祀り、その忠誠を無窮に伝えしめ給うた。(楠木正成公を奉祭する日本最古の神社。)

 そして後醍醐天皇の皇子、後村上天皇より「南木明神(なぎみょうじん)」の神号を賜った。「南木」とは「楠」を二つに分けたとも、『太平記』記述の正成公登場の後醍醐天皇の御夢によるものとも云う。

 元禄10年(1697)領主の石川総茂も正成公を尊崇し、元来、建水分神社本殿裏に祀られていた社殿が傾頽した為、現社地へ遷座再興した。しかしこの社殿も昭和9年の大風害(室戸台風)により老松が倒れて崩壊した。(御神体の大楠公尊像は総茂奉納の厨子に護られ無傷であった。)

 現社殿は摂社としては破格の官幣社建築に準じて設計再造営され、昭和15年に竣功したものである。尚、社殿向かって右前の由緒標は陸軍大将・荒木貞夫男爵の筆によるものである。

                               昭和15年(皇記2600年)4月12日 南木神社 正遷座祭
 当社社司の他、地元の南河内、堺の神職25名が祭員を務め、神社総代や氏子等30名が御神宝棒持員として奉仕するという盛儀であった。


                  
               平成16年11月 南木神社 社殿改修工事完工
                      (建水分神社御創祀2100年記念事業一環)
 従前の幣拝殿桧皮葺屋根を銅板葺に改め、高欄、飾金物類、本殿浜床等の損傷腐食部分を修復した。
  ( 施工 株式会社 カナメ